第一部 生い立ち
どうして、こんなにも体力がないのだろう……
どうして、こんなにも人と関わることが苦手なんだろう……
こんなにも理解力がないのだろう……
こんなにも孤独感を感じるのだろう……
いつも思っていた。
いつも悲しかった。
こんな自分を、味わわせられる毎日が。
もうこれ以上、生きていたくなかった。
いまここで、すべてを終わりにしてしまいたかった。
生まれてこなければよかったと何度も思った。
こんな毎日なら。こんな人生なら。
こんな生き方しか出来ないような人間なら。
ボロボロの心と、いまにも崩れ落ちそうな身体。
今日もまた始まる一日を前に、我慢と苦痛と苦悩の始まりを思った。
今日もまた、あの死にたくなるほどの苦しみと屈辱を味わって、ズタボロになって帰ってくるのか……心がシクシクと泣き出すのを感じた。
もうクタクタだった。
もうヨレヨレだった。
生きる気力が失われていた。
気力が湧いてこないとは、こういうことなのだろうと思った。
覇気がない人とは、こういう人のことを言うのだろうと思った。
身も心も疲れ果てていた。
もうムリだ……これ以上は。
もう何もかもが限界のように感じる……
もうこれ以上、何もしていたくない……
もうこれ以上、生きていたくない……
いますぐに、すべてを終わりにしたい……
冷たい風が頬を撫でた。
目頭が熱くなるのを感じた。
遠くに見える景色が徐々に霞んでいくのを感じながら、涙が頬を伝っていく前にメガネを外した。目頭に手を押し当てて、これ以上涙が出てくるのを押さえた。
「なんで生まれてきたんだろう……」
胸の奥から込み上げてくる深い悲しみ。
全身が、虚しさと孤独感で包まれていくのを感じながら、溢れ出る涙を何度も手で拭った。
夕暮れ時の、仕事終わり。私は近くの公園にいた。
一日の終わりの空に広がる、どこか侘しいような、なにか懐かしくて胸が締め付けられるような、そんな空気の匂いが、今日はいつもより身に染みた。今日だけはいつまでもその中にいたくて、公園の中を行く当てもなく、とぼとぼ歩いていた。
別に感傷に浸りたくてここへ来たわけなんかじゃない……
現実逃避したくてここへ来たわけじゃない……
でもこの現実が、この毎日が、どうしようもなく悲しい……
自分にとって、この世界はあまりにもツラすぎて、過酷すぎて、苦手なことが多すぎる……
ここへ生まれてくるべきじゃなかった……
もっと楽しく人生を生きられると思っていた……
冷たい風に手先がかじかんでいくのを感じながら、公園の奥にある大きな池の近くまで歩き着いていた。
目の前に広がる穏やかな水面。
遠くの方に見える山々。
顔を上げると、大きな空が広がっていた。
夕暮れの淡い色が、空をうっすらと染め上げている。
胸を打つ美しさ……
思わず、胸で息をした。
遠くに子どもたちの遊ぶ姿が見えた。
近くの住宅街から、夕ご飯の匂いが漂ってくるようだった。
温かい味噌汁と、笑い合う家族の姿が浮かんだ。
どうして世界はこんなにも、穏やかで平和で、幸福に満ちているのだろう……
自分以外の世界は……
小学生の頃の記憶
私は沖縄で生まれ育った。
生まれ故郷の空気感が小さい頃から苦手だった。
「どうしてこんなにも息苦しくて、どんよりとしていて、晴れ晴れとしないのだろう……」
ムッとするような湿気、気だるい暑さ。生々しい空気の匂い。
なにかねっとりとした、ベタッとしたもので全身が包み込まれているように感じられて仕方なかった。
私には、この島のすべてが生々しかった。
この島のすべてが、おどろおどろしいものに感じられて仕方なかった。
夜は苦手だった。
暗くなった学校の帰り道、何度も後ろを振り返っている自分がいた。
誰かに見られているような感覚がずっとする……
夜の闇の中に、異様な空気感があるのを全身で感じながら、次第に歩く速度が上がっていった。あえぐように息をしながら、入ってきた生温かい空気に息がつまる思いがした。
「どうして、いつも、いつも、こんなにも、胸が張り裂けそうになるのだろう……」
「どうして、この島の空気は、こんなにも、胸が苦しくなるのだろう……」
家にいても落ち着かない。
寝る前の戸締りは私の担当。
鍵がちゃんと掛かっているか確認せずには寝れなかった。
誰かに見られているような感覚がずっとする……
家の2階やトイレに行くことさえ怖かった。
今でも覚えている。あの感覚……
ムッとする暑さの中での昼寝から起きたときに襲われる強烈な寂しさ……
ここはどこなんだろう……
なぜここにいるんだろう……
少しの間、自分が誰なのか分からなくなることがあった。
強烈な寂しさと孤独感だけがそこにある。
ものすごく遠い所まで来てしまったような、ひとりぼっちになってしまったような、安心できる人がひとりもいないような孤独感。
寂しくて、寂しくて、その場にしゃがみこんで、シクシク泣き出したくなる……
ドクンドクンという胸の鼓動は、小さな身体全体に響きわたっていた。
その場でじっとして自分を落ち着かせようとしてもだめだった。とにかく起き上がり、家の中を歩き回りながら、少しずつ自分を取り戻していく作業が必要だった。
さっきまで寝ていた子どもが、突然家の中を当てもなくほろほろと歩き回る様子を見て、両親は奇妙に思ったのだろう。
「大丈夫?」
「寝ぼけているんじゃないか?」
「トイレはこっちじゃないよ」
声が遠くに聞こえた。
なんだか身体がふわふわとしていて現実感がない……宙にでも浮いているみたい。
足が地面を上手く捉えきれていないような感覚。自分が自分じゃないみたい……
ぼーっとした頭を支えながら、自分はいまどこにいて誰なのか、探るように思い出していった。
なんだろう……この感覚は……
もっと安心できる場所に行きたい……
もっと安心できるものに包まれたい……
そんな私にとって、家でひとり、留守番をすることは、もう恐怖でしかなかった。
シンと静まり返った家の中は寒々としていて、温もりがなくて、居ても立っても居られない気持ちになった。
床の冷たさが、足の裏から全身に伝わってくる。
心臓がバクバクと鳴り出した。
泣き出したくなる気持ちを必死に抑えた。
じっとしていると、いろんな音が聞こえてきた。
風があたりを吹き抜けていく。
玄関の扉がガタンと鳴った。
窓がガタガタと揺れた。
ピューという甲高い音がどこからともなく聞こえてきた。
もう居ても立っても居られなくなって、仕事中の母親に電話を掛けた。
「早く帰ってきて」
「いま仕事中。ひとりで留守番くらい出来るでしょ」
ゆっくりと受話器を置いた。
バクバクする胸のあたりに言い様のない不安を抱きながら、車の音が聞こえてくる度に窓に駆け寄った。家の前をスーッと通り過ぎていく車をじっと見つめながら、両親の帰りをひたすらに待ちわびた。
この島には、なぜか頻繁に台風が到来した。
台風が吹き荒れるときのあの音は、無事では済まされないような恐ろしい響きを、一晩中かき鳴らした。家の真上のそれほど高くない上空から、風を巻き込むような、風を引き裂くような、聞いたこともない奇妙な音が聞こえてくる。気持ちを不安にさせるような、あの黒々とした音。それが一晩中鳴り響いて、ひどく胸を締め付け、小さな身体を委縮させた。
私は何か、この世界のすべてに恐怖を感じて生きているようだった。
この世界のすべてに怖さを見ているようだった。
いつも何かビクビクしていた。
いつも何か寂しさや、心細さを感じていた。
いつも何か周りの視線が気になった。
誰かに何かを言われることが怖かった。
自分の何かを指摘されることが怖かった。
自分のことを誰かに話題にされることは恐怖でしかなかった。
同級生たちの中に入っていくことは、とても無理だった。
彼らが何を話題にしていて何を話しているのか、よく理解出来ないことばかりだった。
何か言われても、どう返したらいいのかが分からない……
人とどう会話したらいいのかが分からない……
どうしてか、相手の話す言葉の内容とかニュアンスが、上手く理解できない自分がいた。
二人以上の人がいると、もう何をしていいのか分からなくなる……
繰り広げられる会話が自分とは関係のない世界の話にしか聞こえなくて、ほとんど耳に入ってこなくなる……
相槌すらせずに、ぼ~っと全然違う方向を向いている自分がいた。
「えっ、スルー?」
「人の話、聞いてる?」
「人に興味ないよね」
同級生たちの話には、どうしてか興味がなかった。興味を持てなかった。
というよりも、どう会話に入っていったらいいのかが分からなかったから、自分とは一切関係のない話だと思うことにしたのかもしれなかった。会話に入っていかなくてはいけないという強迫観念から逃れるために。自分はこの場に存在しない人になろうと、そう在ろうとしたのかもしれなかった。
人と会話することも、人と関わることも、人と一緒にいることも好きじゃなかった。家族や、幼少期から一緒に遊んでいた“いとこ”以外の誰かと一緒にいることは、強い緊張感を伴った。
誰かの家に遊びにいっても、すぐに帰りたくなった。
他人の家の中に入ること自体がイヤだった。
どうしても落ち着かない……強烈に居心地が悪い……
お化け屋敷から恐々逃げ帰るように、怖い体験をした後のような気持ちを抱えて、家路を急ぐばかりだった。
私にとって、周囲の人々は、どこか自分とは合わない人たちのように思えていた。
見ているものや、感じていること、興味のあること……
そのすべてが、自分とはまるで違うように思えて仕方なかった。
そう思えて仕方ない人たちと一緒にいることは、苦痛でしかなかった。
虚しさしか生み出さなかった。
すべてが、ただ表面をかすめていくだけだった。
どこか、もの寂しさを、ひしひしと感じていくだけだった。
同級生に誘われて始めたサッカーは、いつまで経っても上達することがなかった。
ツルツルした大きなボールは、いとも簡単に身体から離れていった。
上手くコントロール出来ない……
どうして足を使うのだろう……
手を使えばもっと楽なのに……
暗くなるまで毎日練習する日々。
どうして毎日、こんな遅くまで、こんな時間までやるのだろう……
時々少しだけ、ちょっとだけやるくらいでいいのに……
自分はそれでいいし、それ以上やりたくもないのに……
運動場の端から端まで走り回るこのスポーツは、私にとってあまりにツラすぎた。
とても体力が持たない……
足が動かなくなって、胸がゼイゼイする。
身体がヘトヘトになって、もう何もする気が起きなくなる。
全然面白くなかった。
ただただ疲れ果てるだけの行為だった。
試合は一番憂鬱だった。
レギュラーメンバーに選ばれなくてホッとした。
ベンチを温めながら、すべてを投げ出したい気持ちになった。
どうしてみんな、こんなにも過酷なことが出来るのだろう……
どうして自分は、こんなにもすぐに疲れてしまうのだろう……
もう辞めたい……
どうしてこんなことしなくちゃいけないんだ……
こんなにもツラくて苦しいことを……
相手チームの声援が聞こえてきた。
笛のピッという甲高い音が鳴った。
身体が固く緊張するのを感じた。
そうなんだ……
この雰囲気のすべてが、自分には合わないんだ……
どこまでも殺風景な運動場の乾いた砂の匂い。
スパイクが固い地面をコツコツと叩く音。
固く冷たい振動が足裏に伝わってくる感覚。
どうしても仲良くなれそうにない、あのツルツルしたボールの感触。
飛び交う大声。
激しい競り合い。
あの甲高い笛の音。
皮膚の表面に汗と砂が混じり合ってドロリとする感触。
得点を取り合う競争。
普段とは違う、みんなの顔……
どうして部活になると、みんな怖くて冷たい雰囲気になるのだろう……
普段はあんなに笑顔で優しいのに……
どうしてみんな、こんなにも、夢中になれるのかな……
次第に練習に行かなくなった。
退部することを監督にちゃんと伝えなさいと親に言われた。
ビクビクしながら久々の夕方の運動場へ向かった。
何も怖いことは起きなかった。
サッカー部を辞めてしばらくたった頃、同じクラスの同級生に陸上部に誘われた。
走ることはキライじゃなかった。
チームプレーじゃないことも、どこか心を惹かれた。
練習場所は近くの陸上競技場だった。
タータントラック(全天候トラック)のゴムの匂いが鼻を突いた。
なんだか思っていたのと違うような気がしていた。
なんだか冷たい景色がそこに広がっているように感じていた。
毎日毎日繰り返される練習。
次第に疲れ果てていくのを感じていた。
練習に行くのがツラい……
どうして、こんなことしなくちゃいけないんだろう……
どうして、毎日毎日こんなにもやらなくちゃいけないんだろう……
大会の雰囲気は、ここでも好きじゃなかった。
ひどく緊張した。
ぜんぜん自分の実力を出せる気がしない……
他の選手たちを見ていると、どんどん自信がなくなっていった。
自分の身体が、一回りも二回りも、どこか小さくなってしまったように感じた。
大会会場には、私が一番イヤな場所があった。
ウォーミングアップ用の室内トラック。
あのタータンの、独特なゴムの匂いが室内中に満ちている。
強烈な匂いがした。
吐き気を催すほどの緊張で身体が縮こまっていく……
あの匂いの中にいると、ものすごく緊張した。
身体が委縮するように感じた。
こんな場所にもう居ていたくない……
こんなこと、もうしていたくない……
中学生の頃の記憶
中学生になった。
中学校の巨大な灰色の建物は、どこか要塞のように感じた。
日当たりが悪い暗い廊下……
スリッパがあちこちに散乱したトイレ……
何かこの建物全体に暗い影が落ちているように思えた。
何か薄気味悪いものが、壁や柱に染み込んでいるように思えてならなかった。
いつも、いつも人の視線が気になった。
休み時間が始まることが苦痛だった。
特段、仲のいい友だちがいるわけでもなく、特におしゃべりしたい話題もなく、でもだからと言ってひとり机の椅子に座ったままでいることは、ものすごい注目を浴びた。
教室とは、そんな場所だった。
学校とは、そんな場所だった。
絶対にひとりでいさせてはくれない場所だった。
集団の中にいないことは、強烈な視線と、注目と、うわさの的になる。
そんな息苦しい場所だった。
この休み時間をどうやり過ごそうか考えた。
わざわざ遠くのトイレまで行って時間をつぶした。
用もないのに一階まで降りて、靴箱の自分の靴を見に行った。
喧騒から遠く離れた図書室へ、ひとり通うようになった。
他とは切り離された、隔絶されたかのようなその空間に、暫し身を置いた。
静寂の中で、少しずつ自分が戻っていくのを感じた。
教室に戻りたくない……
あのガヤガヤとした喧騒の、人がたくさんいる所より、ここの方が落ち着く……
自分の居場所のように感じる。自分らしくいられる……
あんな場所にもうこれ以上、身を置きたくない……
「あっ、びっくりした。いたんだね。」
図書室の先生がスタスタと歩き去って行った。
自分って、そんなに存在感がないのかな……
ここでも、この場所にいても、他人のことを気にしなければいけないのか……
もうどこにも自分の居場所がないような気がした。
「存在感ないよね」
「無口だよね」
「おとなしいよね」
「静かだよね」
「あんまりしゃべらないよね」
「あまり笑わないよね」
「いつも冷静だよね」
「顔が怖い」
「怒ってる?」
「機嫌悪そう」
「無表情」
「何考えているか分からない」
どうしてみんな、そんなことばかり言うのだろう……
自分って別に、そんな感じじゃないけどな。
家では反対の自分がいるんだけどな。
どうしてみんな、そんな決めつけたように言うのだろう……
勉強は面白くなかった。
先生が板書したことを、ひたすらノートに写していくだけの毎日。
もっと先生自身の言葉で、いろんな話を聞きたかった。
先生自身がそもそも、本当にこの教科が好きで教えているのか疑問だった。
私にとって理系はもうお手上げだった。
数学も理科も、一体何をしているのかが分からなかった。
授業中の説明だけでは到底理解できなかった。
予習や復習をしようと教科書を開いても、いまいちよく理解できない。
そもそも教科書を読んでいても全然面白くなかった。
授業が後半になると、決まってプリントを解かされることが、私はすごくキライだった。今日初めて教えられたことを、いきなりテストさせられることがすごくイヤだった。こんなことやってられるかと、いつも心の中で思っていた。自分の準備が整っていないのに、どうしてこんなことをやらされるのか……屈辱的な思いがした。
いまさっき聞いたことをすぐに理解してしまうような、そんな器用な人間ではないのだと、先生に言いたかった。自分にはもっと時間が必要なのだと、自分でじっくり考えてみる時間が必要なのだと言いたかった。こんな自分みたいないろいろと時間のかかる人間に、こんな不可能な要求を押しつけてくるなと言いたかった。
塾通いしている人たちなのか、早々にプリントを解き終えた人が、どんどん教室を後にしていった。彼らの後ろ姿を見つめながら、寂しくて悲しい気持ちになった。
自分の限界を思い知らされているようで悔しかった。
自分の能力をこれでもかと、味わわせられているようで悲しかった。
ちんぷんかんぷんなプリントを目の前にして、こんなプリント一枚で四苦八苦している自分の姿に涙がこぼれ落ちそうだった。
どうしてみんなこんなにも、いろんなことを平気でやってのけてしまうのだろう……
学校へ毎日のように通うこと。
学校生活を楽しむこと。
人と関わること。
人と会話すること。
友だちを作ること。
勉強に取り組むこと。
授業の内容を理解すること。
部活を頑張ること。
そのどれもが、私にとってあまりにツラくて苦しかった。
ものすごく過酷なことに感じた。
ものすごい体力を必要とした。
ものすごいエネルギーを必要とした。
神経がすり減るようなことばかりだった。
ヘトヘトになって、疲れ果てるようなことばかりだった。
みんなどうして、そんなに頑張れるのだろう……
どうしたら、学校と部活と塾にまで、毎日毎日通い続けられるのだろう……
どうしたら、あんなに夜遅くまで頑張れるのだろう……
自分には到底無理だ……
みんなすごいな……
それに比べて、どうして自分は……
どうして自分はこんなにも、いろんなことが難しく感じるのだろう……
みんな涼しい顔して、当たり前のようにやっているのに。
中学校で部活に入らなかった私は、授業が終わったあとの誰もいない教室で、ひとり物寂しさを感じていた。みんなには次の予定があって、次の楽しみがあって、でも自分には何もなくなるこれからの時間が、孤独感を深めていくのだった。
「もう帰っていいのかな……」
特に好きでもない学校が、夕方になると名残惜しくなる……
今日もまた、ただただ過ぎ去っていっただけの一日。
虚しさを胸いっぱいに溜めて、靴紐を結んだ。
門へ向かう道中の、グランドと体育館の横を通り過ぎるときの侘しさ。
練習に取り組む同級生たちの、大きな掛け声とひたむきな姿が見えた。
スポーツも勉強も、どちらも得意な人が、私は羨ましかった。
はじける様な笑顔で学校生活を送っている人が、羨ましかった。
ものすごくキラキラして見えた。
ものすごく魅力的に見えた。
素直にカッコよかった。
どうしたら、あんな風になれるのだろう……
自分はあっち側じゃないのかな。
ああいう風にはなれないのかな。
どうしたらみんなのように、上手くこの世界を歩いていくことが出来るのかな。
その答えは、「苦手なことを克服すること」
それしかなかった。
それ以外の道など、あり得なかった。
私はある専門学校へ進学しようとしていた。
おもいっきり理系の学校だった。
おもいっきり集団生活する場所だった。
親元を離れての寮生活が義務付けられている学校だった。
そして合格したら、今度は帰宅部ではなく、サッカー部に入ると決めていた。
専門学生の頃の記憶
都会から離れた田舎に、その学校はそびえ立っていた。
はじめて教室を見た時、冷たさを感じた。
見た目は綺麗だけど、教室全体が冷たくなっているのが分かった。
どこにも木の温もりがない……
小学校も中学校の教室も、ここよりはまだマシだと思った。教室の中に、どこか木の温もりを感じることが出来たから。どこか体温を感じることができたから。
でもここは違った。
突貫工事で造られた金属の箱の中に入れられているように感じた。
金属の硬くて、氷のように冷たい感触が、全身の熱を奪い取っていくようだった。
なんだかものすごく寒い……ものすごく冷たくて怖い……
建物の至る所に、むき出しの鉄骨が見えた。
その露骨さと冷徹さに嫌悪感を覚えた。
これから始まるここでの生活を暗示しているようだった。
はじめての寮生活。
立派な外観の寮の中は、静けさだけが広がっていた。
部屋でひとりいると、あまりの心細さに居ても立ってもいられなくなった。
またあの音が聞こえてきた。
ピューという甲高い音が、どこからともなく聞こえてきた。
10円玉を握りしめて公衆電話へ駆け込んだ。
胸の奥から込み上げてくる、このどうしようもない寂しさ。
「どうして、いつもいつも、こんなにも、ひとりぼっちのような感覚で胸がいっぱいになるのだろう……」
土日になる度に実家に帰った。
あんなに寂しい所に、静けさと冷たさばかりの所に、ひとりでいることはムリだと思った。
実家では気丈に振舞った。
ホームシックになっているだなんて、言えるはずもなかった。
寂しすぎて、もう心が潰れてしまいそうだなんて、言えるはずもなかった。
自分で家を出たのだから……
実家から寮へ戻る道中は、気が滅入るような憂鬱さが全身を覆った。
すべてが灰色に見えた。灰色の塊のようになった自分がいた。
「またあの生活に戻るのか……」
「じゃあね」っと言って気丈に手を振った後、寮の階段の窓からそっと外をのぞいた。
いまさっきまでいた車の中へ戻りたくなる気持ちを、精一杯抑えた。
親の車がここから去るのを、見届けずにはいられなかった。
後戻り出来なくなったことを、この目で確認せずにはいられなかった。
視界から車が消えると、心にぽっかりと穴が空いた。
言いようのない心細さを胸いっぱいに溜めて、自室へ向かった。
「またこの生活が始まるのか……」
実家から寮へ帰った日は、すべての意欲を失う日だった。
何もやる気がしない。
何の意欲も、気力も湧かなかった。
すべてが憂鬱に見えた。
実家から寮へ帰ったその日は、決まって一晩中、映画を観た。
この精神状態を紛らわせるためには、どこか違う世界へ行くしかなかった。
強烈な心細さを紛らわせようと、逃げるように部活に入った。
中学校での帰宅部生活が長かったせいか、小学生の時のサッカー部時代と陸上部時代に思い知った自分自身のあまりの疲れやすさを、この時の私は完全に忘れ去っているようだった。
「疲れやすいのは体力がないせいで、体力をつけるのにサッカーはもってこいでしょ」
「練習がない日は、自分で走り込みでもしようかな」
どこまでも能天気な自分がいた。
すぐに現実を思い知ることになった。
ウォーミングアップで、既に疲労感と限界を感じている自分がいた。
何もまだ始まってないのに……
練習についていくことはもうムリだった。
足がすぐに止まってしまって走り出すことが出来ない……
頭も上手く回らない。
心も動かなくなっていた。
先輩や同期からげきを飛ばされても、何も感じない自分がそこにいた。
疲労感は増すばかりで、どんどん蓄積されていった。
階段を上がるだけで息切れした。
立っているだけで、しんどかった。
保健室から急ぎの呼び出しを受けた。
健康診断の精密検査の私の採血結果を見てびっくりした保健師が、急いで私を呼び出したようだった。この数値でふつうに歩けるはずがなく、どこかで倒れているような数値だと言われた。倒れていると思って、私を探していたようだった。部活をやっていると言うと、信じられないような目で私を見た。
あまりにもひどすぎる身体の酷使。
幼少期から感じていた生きることのツラさは、日常生活そのものがツラくて仕方のない部活そのものであり、日常生活そのものがどんなツラさも我慢し続ける訓練そのものになっていたことを物語っていた。ツラさと我慢を日常の一部として、当たり前の感覚として受け入れていくトレーニングに、私はずっと取り組んで生きていたようだった。
私が好きだった「粘り強さ」という言葉とともに。
それは絶大な効果をもたらした。
あまりにもひどい身体状態にも関わらず、私を歩かせ続けるのを可能にしたようだった。
部活を一時中断した。
身体の回復を待った。
その後、何度か練習に参加したけど、次第に行かなくなった。
三年次から本格的に始まった専門科目。
このタイミングで、何かがプツンと切れた。
それまでの二年間は、とにかく部活も勉強も必死になって頑張ることが出来た。
ひどすぎる身体状態にも関わらず、極度の疲労感を感じていながらも、それでもとにかく身体に鞭打って、とにかく走り続けることが出来た。
でもここへ来て、限界を迎えたようだった。
ピンと張っていた糸が、もう床までたるんでしまったかのような、もう元には戻せない状態になっていることが、自分自身の状態から分かった。
これ以上頑張り続けることは出来なくなっていた。
専門科目のあまりの難しさ。
心が折れた。
もうさっぱり意味が分からなくなっていた。
次元の違う困難さをひしひしと感じた。
なんなんだ、これは……
なにか突然ハードルが上がった気がした。
これまでとは全然違う別の世界へ、突然連れていかれたような気がした。
一体自分はいま何を教わっているのだろう……
こんなものを即座に理解していく同期たちが宇宙人か何かに見えた。
完全に専門科目への興味を失っていた。
こんなもの、やってられない……
こんなもの、到底ついて行けない……
自分にはあまりにも難しすぎる……厳しすぎる……理解不能すぎる……
実習がある日は、心がひどく重かった。
金属を張り合わせた、鉄骨がむき出しの工場の、冷たくて、凍てつくような寒々とした光景。温もりが感じられないその姿に、嫌悪感だけが募っていく。
旋盤実習の時にはじめて手にした金属の丸棒。
ずっしりと重くて、カチカチに硬くて、氷のように冷たい感触。
手の熱をすべて奪い取ってしまうのではないかと思うほどの、鋭い冷たさ。
命の温もりを感じられない……
こんなものを扱う職業に就くのは、自分はムリじゃないかと思った。
自分には到底合わない……この場所も、この環境も。
ここにいること自体が場違いのように感じられた。
何しにここへ来たんだろう……
どうしてこんな所に来てしまったのだろう……
あまりにも合わなすぎる……ここで目にするものすべてが。
視界に映るものすべてが。
最終学年になっても何がしたいのか分からなかった。
専門科目が活かせる職業に全く興味を抱けなかった。
そもそも働きたくない……
社会人になりたくない……
こんな自分が社会で通用するわけがない……
こんなにも体力がなくて、覇気がなくて、人と関わることが苦手で、人が言ったことを上手く理解できない人間が、どうやって社会で生きていくというのか……
最後の最後まで就職先は見つからなかった。
ふと立ち寄った図書館で、大学への編入学のパンフレットを見つけた。
なぜかこれだと思った。
願書の提出期限ぎりぎりだった。
大学生の頃の記憶
はじめて見る大学のキャンパス。
なんて広大な敷地なんだろうと思った。
なんて開放的な空気なんだろうと思った。
専門学校での単位の振り替えが利かなかった一般教養科目を、大学で新たに取り直した。
面白さに胸が高鳴った。
これまで感じたことのない面白さがあった。
考古学の講義の推薦図書を探しに、大学の図書館へ初めて足を踏み入れた時だった。
「えっ、すごい……」
「こんな場所があったんだ……」
「大学の図書館って、こんな雰囲気なんだ……」
すごくわくわくするようなテーマパークを発見した気がした。
推薦図書を手に、自分の専門科目の本も見てみようと思った。
本棚をみたとき確信した。
「明日からここへ通わなくては」
大量の専門書が目の前いっぱいに広がっていた。
自分が知らなかった世界が、そこにあった。
「こんなにたくさんあったんだ……」
専門学校の小さな図書館では一度も目にしたことのない本たちが、所せましと並べられていた。はやる気持ちを押さえ、気になった本をひとつひとつ手に取った。
大学の図書館で、はじめて私は自分がずっとやってきたことが、本当はこんなにも面白いものだったことを知った。数式ばかりがひたすら並ぶ無味乾燥なテキストチックな本ではなく、ほとんど数式の出てこないような本がそこにはあった。
中学生や高校生や一般向けに書かれた本。
そうゆうジャンルの本こそ、そのものの面白さや本質を一番に教えてくれた。
そこには世界観があった。
作者自身が紡ぎ出す、言葉の数々があった。
作者が魅せられた世界が、嬉々として語られていた。
次第に私は、専門科目の土台となっている物理の基礎に興味を持った。
物理学の根底にある考え、思想、世界観……
そういったものに魅せられていった。
そこには人々の思いがあった。
物理学を発展させてきた人々の思いがあった。
彼らがしたかったこと。彼らが見ていたもの。
それにはじめて触れたとき、学問の本質をはじめて教えられた気がした。
「彼らは、真実が知りたかったんだ……」
「彼らは、この世界が何なのか知りたかったんだ……」
目から鱗が落ちた。
心が揺さぶられる思いがした。
彼らを駆り立てるものは何だったのか?何が人をそこまで夢中にさせるのか?
それをはじめて知ったとき、自分の中にも同じものがあることに気づいた。
自分も同じテーマを持って、ずっと生きてきたように思えてならなかった。
「この世界って何なんだろう?」
「生きるって何なんだろう?」
「なぜ生まれてきたんだろう?」
ずっとそれが知りたくて、いままで生きてきたような気がする……
人生のテーマをはっきりと見た気がした。
生きることの意味を見つけた気がした。
自分が本当にやりたかった研究テーマを見つけた気がした。
自分はこれがしたかったんだ……
自分の興味はこれだったんだ……
先駆者がたくさんいることを知った。
同じ目的を持って、生きてきた人がたくさんいることを知った。
「自分以外にも、この世界に疑問をもって生きていた人がいた……」
「この世界が何なのか知りたくて、生きてきた人がいた……」
すべての学問に通じる出発点はそこだった。
物理という科学は、哲学から生まれたことを知った。
哲学から、様々な学問が派生したことを知った。
大学に入ってからも、相変わらず身体は重かった。
いつもいつも、どこか疲れていた。
いつも何か、心に重苦しいものを感じていた。
突然襲ってくる感情の波のようなものがツラかった。
それはいつも同じだった。
「なんだかすごくツラい……」
「生きること、そのものがツラい……」
「もうこれ以上、生きていたくない……」
「いますぐに、すべてを終わりにしたい……」
「生まれてこなければよかった……」
「もう死にたい……」
専門科目の講義は、ここへ来ても面白くなかった。
どうしてこうもつまらないのだろう……
自分で本を読んでいた方がよっぽど面白いと思った。
好きな本を見つけて、自分で勉強した方がたくさんの発見があると思った。
すぐに卒業研究が始まった。
募集されたテーマを見ても、興味を持てるようなものはひとつもなかった。
一番シンプルそうなテーマを探した。
卒業研究はただひたすら面白くなかった。
やらされ感が半端なかった。
この生活をこれ以上続けていくことは、もうムリだと思い始めていた。
大学に編入学したときから、修士課程に進学しようと考えていた。
でも卒業研究への興味のなさを前にして、それはもうムリだと思った。
自分の興味とはまるで違う方向性だった。
ものすごく小さな領域の、これまたニッチなテーマで、ひたすら応用的なことをやっていく研究なるものに、私はどうしても興味が湧かなかった。
こんなことを、もうこれ以上は続けられないと思った。
もっと本質的で、根源的なことが私は知りたかった。
私が探求していきたいことは、「生きることそのものを問う」ことだった。
その答えをここで見つけることは不可能だと思った。
これ以上、この場所に居続けることは出来ないことが分かった。
もうこれ以上、学校なるものに通い続けることはムリだということが分かった。
自分の興味とは、まるでかけ離れていくこの場所に、これ以上身を置き続けることは出来ないことが分かった。
進学を諦めた時点で、もう就職しか道は残されていないように感じた。
会社員にならずにお金を稼ぐ方法はないのかな……
朝から晩まで仕事する生活を、40年以上続けるなんて自分にはムリすぎる……
とても身体が持たない……
とても精神が持たない……
もっと違う方法があるはず……
でもこれだって思えるものを見つけることは出来なかった。
大学の卒業はもう目の前だった。
立ち止まることは許されなかった。
家でプー太郎していられる状況ではなかった。
奨学金の返済が待ち構えていた。
イヤでも仕事しなければいけないのか……
学んできた専門科目を活かせる職業に、興味を惹かれるような業種はひとつもなかった。
最後まで自分が何をしたいのか分からなかった。
ひとつだけ、はっきりしていることがあった。
これじゃないことだけは確かだった。
自分の専門科目を使う職業じゃないことだけは確かだった。
だったら、自分は何がしたいのか……
どこに行きたいのだろう……
何がしたいのだろう……
本当にしたいことははっきりしていた。
探求していきたいテーマがたくさんあった。
この世界の本質的で、根源的で、真実のようなものを私は知りたかった。
それしか興味がなかった。
でもそれにしたって生活費は稼がなくてはいけない……
お金はどうしても必要だった。
そして、それを得る方法はたくさんあったはずだった。
でもその時の私は、両極端のことしか見えていなかった。
このまま自分が学んできた専門科目を使う会社にイヤでも就職して「正社員」になるか、「個人事業」を始めるか。
間がすっぽりと抜け落ちていた。
「アルバイト」という選択肢もあったはずだった。
最低限のアルバイトをして生活費を稼ぎ、残りの時間をすべて自分がやりたいことに使うことも出来たはずだった。そうゆう生き方を選択して、自分の夢に向かって生きている人がたくさんいることを、その時の私は知らなかった。
大学の就職案内をパラパラと見ていたとき、気になる会社を見つけた。
勤務地が全国になることが募集要項に記されていた。
どこか心を惹かれるものがあった。
この沖縄から出られる。
なんだか胸がワクワクしてくるのを感じた。
・・・
私がはじめて内地(日本、ヤマト)へ行ったのは、九州がはじめてだった。
中学生の時の修学旅行。
熊本、長崎、福岡の観光名所を巡る旅だったと思う。
冬の寒い時期だった。
沖縄では考えられないような気温になっているのが全身で分かった。
どこか全体にうっすらと靄がかかったかのように見える風景……
「どうしてこんなにも、清々しい空気で満ちているのだろう……」
いままで体験したことのない感覚が、そこにあった。
キリリとしてピンと張りつめた冷たく乾いた空気の中に、どこか懐かしさを感じるような、胸が震えるような、優しく包み込まれるような、そんな柔らかい匂いがした。
「なんて気持ちのいい所なんだろう……」
いままで体験したことのない、自然の雄大さを感じていた。
ゆったりとそこに在るかのような、遥か昔から、ずっとここで時を経てきたような……おだやかさの中にどこか威厳を携えている……そんな姿を見た気がした。いままで感じたことのない平和が、安心できるものが、ここにあるような気がしてならなかった。
「どうしてこんなにも、おだやかな風景なんだろう……」
遥か昔から、ずっとそうだったような静けさ。
何か疑いようのない安心感で満ちた世界。
それに対して、どうして沖縄は……
「どうして沖縄は、こんな空気感じゃないんだろう……」
長崎のカステラをお土産にたくさん買った。
出迎えてくれた両親に、自分が体験した感動を一生懸命伝えた。
久々の家への道中、沖縄の空気はやっぱり自分には合わないのかなと思った。
沖縄の寒さと内地の寒さは明らかに質が違った。
湿気を含んだ空気の冷たさは、どこか気持ちを萎えさせた。すべてを投げ出したくなった……
内地のあの乾いた空気の冷たさは、どこか気持ちをピンとさせた。張りをもたせた。内側から何か温かいものが湧いてきた……
ほんの数時間前、あんなに清々しい場所にいたのに……
気力を奪われていくようなダルさを感じながら、目に映るこの島の光景から目を逸らした。
「どうしてこの島にいると、こんなにも心が殺伐としていくのだろう……」
専門学生の頃、長期休みの約一か月間、東京でアルバイトをした。
仕事はきつかったけど、あの空気の清々しさは東京でも感じられた。
春先のまだ寒さが身に染みる季節だった。
浅草寺へ続く商店街。そこではじめて見たおはぎ。
一口食べた瞬間、感動で胸がいっぱいになった。
「世の中に、こんな美味しい食べ物があったんだ……」
内地で食べる食べ物は、どうしてか、いつも味わい深く感じられた。
同じものを沖縄へ持っていって食べても、こんな感覚にはならないはず……
この寒さと、この土地の雰囲気の中だからこそ、感じる感覚なのだと思った。
・・・
あれから数年。
大学を卒業した私は、沖縄発東京行きの片道チケットを手にしていた。
短期滞在者としてではなく、移住者として、私は内地に来ていた。
大人になって
関東での新入社員研修が始まった。
新人社員の強みは若さしかないとか、はつらつさとした若者らしさが武器とか、何でもやらせてくださいという熱意が大事とか、いろいろ言われた気がする。そのどれもが自分には当てはまらない気がしながらも、自分の専門科目を使う職業を一度は体験して、合わなければその後に辞めたいと思った。中学校を卒業してから大卒まで、7年間も向き合ってきた専門分野だった。一度は、その世界を実際に見てみようと思った。
はじめて職場を訪れたとき、人の多さにイヤな予感しかしなかった。
広大なワンフロア全体にデスクが敷き詰められていた。小さな島がいくつも作られ、対面で座らされ、パソコン画面とにらめっこする毎日が始まった。
すぐに首の後ろから肩にかけて、強い張りを感じるようになった。あまりの不快感に業務に集中することさえ難しくなる日が出てきた。
先輩の威圧的な態度にも辟易していた。仕事の鬼のようなその人は、ドタドタと忙しそうに廊下を走り回った。近くにいるだけで、その雰囲気を感じるだけで、疲れてくるような人だった。
同期がひとり、またひとりと辞めていく中、次は自分の番だと思うと、心がワクワクしてきた。自分もあっち側に行ってやると思いながら、去っていく彼らの背中にエールを送った。
思い切って、退職したいと会社に伝えた。
でもその思いは叶わず、業務内容を変えてもらうことになった。
大人数の居心地の悪いフロアから、小さな部屋で、自分ひとりで仕事する毎日へと変わった。
自分に合った仕事内容だった。
これまでの複雑怪奇な業務から離れ、どこか自分なりに仕事を楽しみ始める自分がいた。
気づくと、社会人になって3年半が経とうとしていた。
十分にこの職業を楽しんだと思えた。
満足だった。
やり切った感でこころが満たされていた。
会社を退職して、アルバイトに切り替えた。
興味のある仕事をしてみたり、生活費がアルバイトでは賄えなくて派遣社員に切り替えたり、再び興味のある仕事を正社員で始めたり、再びアルバイトに切り替えたり……
いろんな仕事を経験していった。
どの仕事も、自分なりに納得できるまでやった。
転職を繰り返すほど、色んな仕事を経験していくほど、色んな人と関わっていくほど、自分の中に自信がついていくのが分かった。
自分が得意なことが分かっていった。
自分がイヤなこともはっきりと分かっていった。
自分に合う働き方を見つけていった。
そうやって気づけば、何が起きても大丈夫だと思える自分がそこにいた。
私には考える力がある。
解決する力がある。
思い切って行動に移す力がある。
そこがイヤだと思えば、あっさりとそこから離れる勇気がある。
小さな成功をひとつひとつ掴み取るたびに、それを確信していった。
そして同時に、自分をもっと大切にして生きる人生にしたいという思いが大きくなっていった。
・・・
もうこれ以上、生きていたくないと思い続けたツラく、苦しい日々。
一生惨めな思いをし続けて、生きていく人生なのかなと思ったツラく、悲しい日々。
でもいま私は、その当時には考えられなかった状態にある。
人生に絶望していた私は、生きる楽しさを見つけていた。
人生が180度、変わっていた。
私の人生は、自分を学校という場所から卒業させた時から、動き出したように感じる。そしてそのタイミングは、自分の故郷を離れる機会とも重なった。
「学校」の外に広がる世界。
そして、沖縄だけじゃない別の世界。
そこへ思い切って飛び込んでみることは、私にとってどうしても必要な体験だった。
真実の扉は開かれた……
「宇宙の真実」は、この世界をまったく違う視点で見ることを私に教えてくれた。
ものすごい世界でいま私たちは生きている……
なんてワクワクするこのタイミングで生まれてきたのだろう!
偶然とは思えない!
そう、偶然などないのだから。
ほんとうはすべてを知っているのだから……
すべての答えは、自分の中にある。
感覚を研ぎ澄ませ、子どものように自由奔放でいるだけでいいんだ……
この身体を脱ぐ最後のときまで。

